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異邦人

私は「近所」が苦手だ。
生きている以上、どこかの地域に住んでいることは間違いない。そして、そこに地理的に存在するということは、責任が発生する。その一番大きなものは、毎日のように出るゴミ。このゴミを集める収集場所は住民で管理する。また、地域の美観。これはやはり住民が共同で守るべきとされている。そして、行政からの通知。回覧板なるものにそう有益な情報があったという記憶はほとんどないが、いろいろな「お知らせ」が近所づたいに回ってくる。

近所との関係がどうしても生じてしまうものなら、うまくやっていくに越したことはない。それはわかっているのだが、「近所」と聞いただけで、嫌悪感を覚えてしまうことがある。
それはそこに何とも言えない、「価値観の押し付け」を感じてしまうからだ。
もちろん、その価値観そのものは道徳的なものだ。「人間らしい」と言うことさえできるものだろう。そう認めているにもかかわらず、どうしようもなく自分にとっては不気味でやりきれない。

カミュの書いた「異邦人」と言う小説がある。このタイトルは、母の死に対して「普通の反応」をせず、「太陽が眩しかったから」と言う動機で殺人を犯した主人公を指している。

異邦人 (新潮文庫)
母の死を悼み悲しむことは、人間的なことだ。そこにあるのは肉親に対する情愛の心であり、このような肉親に対する愛情は美しいものとされている。
そして、社会はそのような感情を当然視し、そのように感じない人間を非人間的なものとして排除する。
「人間はこうあるべき」という言わずもがなの規範。しかし、すべての人がその規範をスムーズに受け入れているわけではないはずだ。その規範があるために、渋々ながら、自分の持つ感情を不自然なものとして押し殺さざるえない、そのような場合もあるはずだ。

もちろん規範自体は悪くない。しかし、それを当然視し、無言のうちにそれを「人間として普通」と呼ばれるものとして押し付けてくる社会には疑問を感じずにはいられない。そして、「近所」とは、それこそ無言のうちに、これまでいわゆる善とされてきたものを振りかざして、それからはみ出してしまう者に容赦ない制裁を与えるもののように感じてしまう。それともこれは、「近所」と言う名前で呼ばれる実体のないものをいたずらに警戒するがゆえに感じるゆがんだ感情なのだろうか
タグ:異邦人
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