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まともがわからない

自分の立ち位置と言うものは、人間関係の中で初めて見えてくるものだ。社会の中で、家族の中で、職場で、学校で、いるべき立場に立って他人と関わる中で自分が見えてくる。人間関係は自分を映す鏡だ。この鏡を通してでなければ「自分」は見えてこない。

しかし、ここで今私には問題がある。
ほとんどそう言ったリアルな関係がないのだ。「外の世界」と自分の間には分厚クッションがある。そしてその向こうから、まぁかすかな振動程度の物音は聞こえてこないわけじゃない。だけど、そんな物音は自分の考えようによってどんなふうにでも解釈することができる。

まともな社会生活を送るために、「外の世界」の中に身を置いて、それをもとに自分を知ることをは必要なことだ。しかし、今のところ自分を取り巻いている世界は実体のある「外の世界」ではなく、自分の妄想で色づけることのできる「自分の世界」の延長でしかない。これはどういうことかと言うと自分を客観的に見るすべがないと言うことだ。だから今のところ私は「まともがわからない」。



「まともがわからない」っていう曲がエンディングテーマになっている「まほろ駅前多田便利軒」では、多田と行天と言うコンビが出てくるけど、この曲がエンディングになっているのは、彼らの世界を通してみるときいわゆる「まとも」がわからなくなってしまうからなんだろうか?
閉ざされた世界の中に「まとも」なんてものは存在しないのだから。


自分だけの世界では
すべてを知り尽くした賢者にも
すべての人の注目を集めるヒーローにも
哀れな乞食にも
無邪気な子供にも
残忍な殺し屋にも
なりたい放題

赤子の持つ全能感は自分のモノ

それは夢の世界だから
それは自分の世界だから

自分以外に誰もいない自分の世界だから




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